<植村裁判(被告櫻井よしこ氏、新潮社、ダイヤモンド社、ワック)札幌訴訟日程>
10月13日(金) 第10回口頭弁論 札幌地裁 午後3時30分
          植村側:喜多元ソウル駐在道新記者を証人申請 
          (道新記事を東亜日報が大々的に報道し韓国の沸騰のキッカケとなる)
11月22日(金) 進行協議(非公開)
年内の予定     証人尋問
   〃       判決
演 題:傍聴に行こう!
傍聴定員枠以上は抽選
抽選は15時(締切)から
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<新教連新教育講演会>
演 題:より大いなる自己を実現する根本哲学~よき日本人となるために~
講 師:代田 健蔵・公益社団法人新教育者連盟理事長
日 時:10月14日(土)13:00開場 開演13:30~15:30
場 所:北農健保会館・2階会議室「エルム」 中央区北4西7
会 費:予約会券(千円) 当日受付(千二百円) 
主 催:公益社団法人新教育者連盟札幌支部 
問合せ:℡/FAX011-373-4622(伊藤)or011-667-6594(狩野)
後 援:日本会議北海道本部
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論説委員・皿木喜久 『古事記』1300年の危機感
From:2012.5.20 03:06 産経ニュース
 戦前の教科書に『松阪の一夜』という有名な話があった。今、「小学国語読本巻十一」の復刻版で読むことができる。

 伊勢国(現三重県)松阪の若き学徒だった本居宣長はある日、この地を万葉集研究の泰斗(たいと)、賀茂真淵が訪れていることを知る。「どうかしてお目にかかりたいもの」と捜し回った末、数日後に旅館で対面が実現した。ほの暗い行灯(あんどん)の下、2人は夜遅くまで話し込む。

 「古事記を研究したい」と語る宣長に対し真淵はこう答えた。

 「私も実は古事記を研究したい考えはあったが、それには万葉集を調べることが大切だと思い、取りかかったところ、いつの間にか年をとってしまった。あなたはまだ若いからしっかり努力したら大成することができる。まず土台を作り、一歩一歩高く登ることだ」

 真淵の励ましに感激した宣長はその後、文通でも教えをこいながら35年後、ついに『古事記伝』という不滅の大作を完成させた。

 三重県出身の歌人、佐佐木信綱が松阪市に伝わる話や、宣長の『玉勝間』の挿話を基に書いた『松坂の一夜』が原作で、話は宝暦13(1763)年5月のことである。

 話には2人の学問に対する真摯(しんし)な態度、謙虚さなど子供たちに教えたい「徳」が含まれている。だがそれよりも伝えたかったのは『古事記』の大切さのような気がする。

 今から1300年前の712年、太安萬侶(おおのやすまろ)が編纂(へんさん)したという『古事記』は、神話と古代天皇の事跡を記した日本最古の史書である。だが宣長が生きた江戸中期には、その存在すら忘れ去られようとしていた。

 日本の正史とされたのは『日本書紀』であり、『古事記』ではなかった。その上、『日本書紀』が古い伝承を漢文に「翻訳」して書かれているのに対し『古事記』は、漢字で表した古代の日本語、古語を交えた和漢混淆(こんこう)文で記されている。

 ところが編纂から1千年もたった宣長の時代には、そうした古語はほとんど使われない。どう読むのか、どんな意味かも分からなくなっていた。それを、血のでるような努力で解読し、綿密な注釈を加えたのが全44巻の古事記伝だった。

 つまり宣長がいなければ、日本人はまともに『古事記』を読めなかった。「松阪の一夜」は「古事記復活の一夜」だったのだ。

 古代文学者の工藤隆氏は『古事記誕生』の中で『古事記』は「時代に遅れた書物」だという。当時の先進国家「唐」の文化を積極的に取り入れた「近代化」の時代に「古(いにしえ)」の伝承に固執したという意味である。
 宣長も学問といえば外来の儒学を指すような時代に生きていた。その中で漢意(からごころ)に翻訳された『日本書紀』ではなく『古事記』を読まなくては古代日本人の心、物の見方や価値観は分からないと考えた。古来の文化を失えば、日本が日本でなくなるとの危機感を持っていたのだ。

 明治維新により、今度は西洋の文化を取り入れた明治・大正期に、教科書が『古事記』の大切さを教えようとしたのも同じ理由だった。

 その危機感は今も生きている。ようやく憲法を変えようという動きが盛り上がってきた背景には、米国流の個人主義が基調にある現憲法の中に日本古来の価値観をよみがえらせたいとの意図もあるからだ。そんな時に『古事記』誕生1300年を迎えた意義は大きい。
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