「加瀬英明のコラム」メールマガジン2014/11/18

9月が巡ってくると、東京湾に浮ぶ米戦艦『ミズーリ』号上で降伏式典が催されてから、70年目を迎える。

 私の父・俊一(としかず)は、重光葵(まもる)全権に随行して参列した。

 重光外相がマッカーサー元帥の前にしつらえられた机に置かれた降伏文書に、万涙を呑んで調印するすぐわきに、父が立っている。

 その前夜に、母のか津が俊一を呼んで、「あなた、ここにお座りなさい」といった。

 座ると、毅然とした態度で、「母はあなたを降伏の使節にするために、育てたつもりはありません」と叱って、「行かないで下さい」といった。

 俊一は「お母様、どうしても、この手続きをしないと、日本が立ち行かなくなってしまうのです」と答えて、筋を追って恂恂(じゅんじゅん)と訳(わけ)をあかした。

 しかし、か津は納得しなかった。

 「わたしには、どうしても耐えられないことです」といって立ち上ると、嗚咽(おえつ)しながら、新しい下着を揃えてくれた。

 私は中学に進んでから、父にミズーリ艦上で、どう思ったか、たずねた。

 すると、父は「日本は戦いには敗れたけれども、数百年にわたって、奴隷のように虐げられていたアジアの民を、解放した。そういう歴史的な大きな、新しい時代を開いたという意味で、日本は勝ったという誇りを胸に秘めて、甲板を踏んだ。重光も同じ考えだった」と、答えた。

 甲板にあがった時に、小さな日の丸が7、8個、灰色の壁に描かれているのが、父の眼に入った。あきらかに『ミズーリ』号が撃墜した特攻機を、表わしていた。すると、胸に熱いものがこみあげた。だが、敵将の前で涙を見せてはなるまい。

 父は「これほど、生涯で泣くのをこらえたことはなかった」と、語った。

 私は『ミズーリ』号の甲板に立った父の悔しさと誇りをいだいて、成長した。そして、今日に至っている。

 日本が大きな犠牲を払って、アジアが解放されると、その高波がアフリカ大陸も洗って、西洋の列強によって虐げられていたアフリカの民が、つぎつぎと独立していった。

 今日の人種平等の世界は、日本が戦ったことによって創り出された。

 日本は人類史で大きな役割を果した。大いに誇るべきである。
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