2013.11.10 食材虚偽表示
食材虚偽表示」は明治維新の負の遺産か?
護るものを失っている日本人が・・・・・・。
タイヤ屋の☆の数に一喜一憂し
低学年より外国語学習とか益々脳内味覚音痴が増えるのではと心配している。
で、下記ブログが目に付いた。

 雪嶺の代表作は、「真善美日本人」と「偽悪醜日本人」である。 「真善美日本人」と「偽悪醜日本人」は、その題において対になっているが、構成は必ずしも対になっているわけではない。「真善美日本人」は日本人の美質について述べているというよりも、日本の伝統的特質、つまり国粋を述べているというべきである。それに変わって「偽悪醜日本人」は、日本人の醜さについて論じたものである。その中には、「美質のみを知っていることは悪である」という思想が背後にある。我われは、特に愛国者であればあるほど日本人の醜態に目を背けてしまいがちであるが、逆に醜さを知ることもまた、愛国の本義とも言うべきものなのかもしれない。本当の愛情とは、相手の欠点を全て受け入れるところにあると思う。日本についてもまた然り。

 偽として、日本学術会の醜さを挙げている。優秀な少年に対し、父親が知らぬくせに学術に容喙してきたり、または朋友が悪い遊びに誘い込もうとすることで、有望な人材を積んでいることを嘆いている。また、教師がみな官吏であることを、文部大臣の意向に背けないとして非常に嘆いている。ちなみに雪嶺は、大の官吏嫌いである。また、現実の階級差が、学術会の出世に絡むことを非常に嫌っているのだ。学術会は、政府に反抗する志もなく、御用学者の養成所のようになってしまっている。学者が従うべきは学問の道理であり、世俗の名声など、それ以外のいかなるものにも媚びてはならないと主張している。

 悪として、正義を心に抱かないことを主張する。正義ではなく、時流や強者に尾を振って媚びる。文明開化となればすぐ掌を返して文明開化に熱狂する。海外の文物を導入することに必死になり、国内興隆に目を向けない。結果山間に海外の贅沢品をそのまま持ち込み、地方の特産物を軽視し、経済を疲弊させる。調和を考えず、商人は公益と称して己の利益を増大させることに熱中している。努力を軽視し、貧民を軽んじ、巧言やお世辞が上手いものだけがいい思いをする。いかに彼ら豪商が華美な装束をまとい、豪華絢爛な住まいに身をおき、洋行を自慢しようとも、彼らは卑しい人種である。彼らを排撃し、社会に重きをおかせないようにすべきだと述べている。米国流の拝金主義に乗っかり、個人の利害に汲々として、公共の大事は腐敗を究めるのである。士族の風尚美徳と、公共のために死を視る精神により維新は誕生したのであるから、士族を重きにおくべきである。

 醜は以下のようである。男女は軽薄になり、女子は自分を絶世の美女か何かと思い、光物に夢中になり、外部から見れば、その見かけの卑しさといい、精神の貧しさといい、吐き気を催すようだ。男子はあろうことか、女子のそういう行動を軽薄な甘言を用いて絶賛するのである。高価な美術品を集めながら、その美術的価値には興味も持たず、ただ自身に高級感を持たすためだけにそれらの収集に狂うのである。文章も練らず、趣向も練らず、思想にいたっては下劣な短編小説を読んだだけにもかかわらず利口気に批評して見せる。己の外観のみの美しさに狂い、その中身は非常に堕落するのである。美の観念など思いも致さないのである。古来事物の精神に通じないくせに先人をなめて、意思も観念もなくただ華美な作品を作り自らを誇るのである。そしてその結果が欧米の安直な模倣なのである。子供が大人の真似をするような賤劣な模倣である。欧米の文物を入れることは急務であるが、それが卑しき自文化への卑下となってはならない。そうなれば日本はただの劣等な欧米に成り下がるであろう。

 以上は雪嶺の言っていることの要約に過ぎない。しかしこれが現代にも通用するものがあまりにも多いことに気づく。ここまで口汚く罵られてはかなわないと言えなくもないが、しかし現代にも共通する日本人の醜さである。
(歴史と日本人―明日へのとびら― http://blog.livedoor.jp/k60422/archives/52074640.html より)
・・・・・・・
追加
“偽”や“醜”はうわっつらに流れて真実を失った学問や芸術への、“悪”は私利を第一として士風の矜持を失った社会風潮への批判である。とりわけ、欧米文化を直輸入して事足れりとする風潮に舌鋒が鋭く向けられる。次の引用をみると、“和魂洋才”“東洋道徳西洋芸”のような発想と言えるか。
「おおよそ社会の事物たる、他を模倣せんよりは、自家固有の特質を発達せしむるの優たることあり。けだし我が国固有の風俗たる、いずくんぞことごとく抹殺すべきものならんや。そもそも外事を取りて、これを用いんことあえて排難すべきにあらずといえども、そのこれをなさんにはあらかじめ守るところなかるべからず。すわなち明らかに我を主とし、彼を客とするの本領を確保し、彼やただ取りてもって我の発達を裨補せしむるの用に供すべきのみ。はじめより汲々乎として模倣これ務む、いずくんぞその可なるを知らん。」(139ページ)
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