文字色「GHQ焚書図書開封」読書メモ(1)平井 修一
西尾幹二著「GHQ焚書図書開封 - 米占領軍に消された戦前の日本」を読み始めた。これまでに第7巻まで刊行されているが、ネットで検索したところ、その要約や抄録はないようなので、メモという形で内容のごく一部のエッセンスを伝えたいと思う。とりあえず第1巻の最初にある「焚書」の概要について。

■GHQ(連合国軍総司令部)は昭和21年(1946)、昭和3年(1928)1月1日~昭和20年9月2日に日本で発行された出版物のうち、7769点を「没収宣伝用刊行物」に指定した。没収=焚書である。GHQの昭和21年(1946)3月17日付の指示により実際に没収したのは日本政府である。没収は昭和27年(1952)の占領終結まで続けられた模様だ。

■焚書する出版物は書店や出版社などの公共ルートから没収され、図書館や個人宅の本は除かれた。焚書リストの作成には日本政府の指示で東京大学の助教授である尾高邦雄、金子武蔵、東京帝国大学法科教授を退官していたカリスマ的法学者の牧野英一、帝国図書館(現・国会図書館)員らがかかわった。牧野英一はGHQによる公職追放にも協力した。

■没収にあたったのは当初は警察だったが、文部省に移管され、都道府県知事の任命する没収官が、必要ならば警察の協力を得て行った。罰則を設けて抵抗できないようにした。没収は秘密裏に行われたが、口外しても罰則はなかったのに日本人は焚書に口を紡ぎ、その事実を忘却した。

■焚書リスト作成の見本となったオリジナルの出版物の多くは米国へ移送された模様だが、没収を免れた私宅などの本や隠匿された本は後に古本屋などに出回っていた。国会図書館にその多くは実在しているというが、閲読は容易ではないようだ。(小生が調べたところ焚書のひとつ、谷口勝著「征野千里」の現物は閲覧できない。デジタルデータは国立国会図書館の館内でのみ閲覧できるが、セルフコピーはできない。他の焚書図書も同様だろう)

■戦意形成期の17年間の歴史を日本人の前から消した焚書は、占領軍が侵略国を打ち負かしたというお伽話的「日本罪悪史観」を広めるために必要だった。やがて「米国が日本に民主主義を与えて再生させた」という迷信に日本人は完全に支配されて、知的階級を筆頭に昭和23、24年の頃には「米国万歳」になっていった。

■西尾先生曰く、「(焚書に)協力させた加害者も協力した被害者も恥ずべきことをしているのだと承知していて、素知らぬ顔をして犯行をつづけた。焚書は魂を売る行為だ。

日本は戦争に敗れたが、焚書される理由はまったくない。一国の政治的、思想的、歴史的、文明的、道徳的、軍事的、外交的、宗教的な生きる根拠を、他民族から裁かれる理由はない。

戦前、戦中の自分の主張的立場を他人に言われて否定したのは間違い、失敗だった。焚書されて本がなくなったために、戦後を“自分でなくて”生きている事実にすら気が付かなくなってしまった。

自分を取り戻すために、目の前から消されてしまった本を取り戻すことから始めなくてはならないのだと考えて、この仕事に起ち上がった」。
以後、折に触れて紹介していきたい。(2013/09/26)

※わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」より転載
「GHQ焚書図書開封」読書メモ(2) 平井 修一

西尾幹二著「GHQ焚書図書開封 - 米占領軍に消された戦前の日本」で紹介されている焚書図書のサワリを転写する(若者に読みやすいように新字、新仮名づかいに改めた)。小生の父母らが命懸けで起ち上がった時代の空気、背景、正義、真実をともに学んでいきたい。

■大東亜戦争調査会編「米英挑戦の真相」昭和18年6月1日、毎日新聞社刊

<米国が日露戦争直後より今次(大東亜戦争)開戦直前に至るまで、あるいは排斥、あるいは圧迫、果ては弾圧など、我が国に与えた侮辱と非礼とは、世界四千年の国交史に稀なるものであり、また英国が明治維新前後より日清戦争まで、そしてワシントン会議より今次開戦直前まで、我が国に対してとった態度も、これまた米国といずれか烏の雌雄を知らんやの類で、ただ米国のごとき暗愚下劣なる露出的態度でなかったというにとどまる。

過去幾多の米英の対日外交振りを見れば、その内容の暴慢なるはもちろん、その態度や傲岸、その言辞や横柄、なすところは悪辣非道、筆舌をもって形容し難きものがあり、顧みて、よくもわれわれの先輩はこれを堪忍してきたものだと、その自重の裏に潜む万斛(ばんこく)の血涙を、そぞろに偲ばさるを得ないほどである。

かかる米英の対日非礼史、侮日史は他の分冊に譲って、ここには単に軍事上から、この(ABCD、注)対日包囲陣のもつ戦略的敵性を指摘するにとどめよう。これほどの悪辣な戦略は、歴史上未だかつてなかったと敢えて断言してはばからないのである。

彼らが我が国を軍事的に包囲するに先立って、我が国をまず外交的に孤立無援にしてしまおうと企図したこと、この外交包囲にも満足せず、さらに我が国の窮乏、衰微を策して、我が国に対する卑劣な経済圧迫をつづけ、我が国をして経済的孤立に導かんとした。

彼らは日本民族の移民を完全に排斥し、我が国製品の輸入や、彼らの日本への輸出品をば意のごとく制限したのみならず、他民族の国からまでも日本排斥を策し、謀略をもってこれを実行せしめた。

すなわち我が国を完全に“はねのけもの”にして貧乏人にしてしまおうという策で、この排日、侮日は、ついに悪辣なる経済包囲、経済封鎖という目的のために手段を選ばざる結果を招来した。

彼らの企図したところは、我が国を丸裸にし、丸腰にしたうえで軍事包囲をして、我が国を袋叩きにしようとしたのである。なかんずく我が国への油道(原油ルート)の切断こそ、その悪辣性の最なるものであった。

油道を切断して我が国の艦船、飛行機、機械化部隊が動かなくなれば、我が国を刃に血ぬらずして武装解除し、少なくも我が国の軍備をして、日本国産の油で維持し得る程度にまで制限したのと同様である。こうしておいて、我が国を袋叩きにして打ちのめそうとしたのである。世界史上未だ見ざる悪辣なる戦略だと断言することができる。

かかる悪辣性の包囲陣である。いわば挑戦そのものであったのだ。起たざれば我が国は自滅するか、袋叩きにされて落命するか、であったのだ。決然、我が国がその自立自衛のために起ったのは、いわば当然の帰結であったのだ>

■西尾先生曰く、「わが国の開戦にはこういう必然性があったのだ、たとえ小国といえども、あれほどまでの過酷な条件を突きつけられれば起ち上がるのが当然だとは今までも言われているが、日本を取り巻く状況は本当にきつかった。

この本が出た昭和18年は戦争たけなわの時期であるが、包囲陣をつぶさに調べており、合理的で、戦略的で、現実的な目で書かれている。リアリズムで、敵を見くびっていないし、傲慢に構えてもいないし、自暴自棄になっているわけでもない。それでいて事柄の困難さはよく見抜き、起たざるをえないと言っている。このときの日本人の勁(つよ)さは謎だが、歴史の真実、事実として動かない。

戦争が終わっても「戦後の戦争」は続いていた。対日包囲陣は焚書あるいは検閲というかたちで戦後も継続し、今の日本をも脅かしているのである」。(2013/09/30)

・・・
注)ABCD包囲陣:アメリカ(America)、イギリス(Britain)、中華民国(China)、オランダ(Dutch)による対日貿易制限、敵対網。

J.F.C.フラーは「制限戦争指導論」のなかで、「ABCD包囲陣は経済戦争の宣言であり、実質的な闘争の開始であった」「大西洋会談において、米国のルーズベルトが英国のチャーチルに対して『私は決して宣戦布告をやるわけにはいかないでしょうが、戦争を開始することはできるでしょう』と述べ、チャーチルは後日『われわれの共同禁輸政策は確実に日本をして平和か戦争かの瀬戸際に追いやりつつあります』という書簡を送った」としている。

GHQ焚書図書開封」読書メモ(3)平井 修一

西尾幹二著「GHQ焚書図書開封 - 米占領軍に消された戦前の日本」で紹介されている焚書図書のサワリ。以下の本から1937年(昭和12)12月の南京攻略戦のごく一部を転写するが、背景を少し説明しておこう。

支那では清朝の統治能力が衰えて内乱状態が続いていたが、1912年に孫文が中華民国の樹立を宣言。清朝が滅亡したものの、やがて全土が分裂し軍閥が割拠する時代となった。

1926年の孫文の死後に蒋介石(国民党)が国内の勢力を統一し「中華民国南京国民政府」を標榜、主に軍閥・張作霖の北京政府撲滅を目指し北伐を開始する。

蒋介石は意欲的に中国の近代化を進めたが、ソ連の支援を受ける毛沢東らの中国共産党は農村を中心として支配領域を広げていき、国共内戦が激化していく。

1932年、日本の支援を受けて満洲国が建国されると、支那では全国的に抗日世論が高まり、1936年にはソ連の仲介(謀略)と恫喝で国民党と共産党の国共合作が成立した。1937年7月の盧溝橋事件からは日本人居留民、日本軍を攻撃する抗日事件が相次いだ。

日本は清朝時代からの支那政府との条約で得た支那における権益、居留民の安全を条約に基づき軍事力で守ろうとし、一方で蒋介石の南京国民政府は「革命外交」を掲げて日本の権益を、米国の支援をうけつつ軍事力で無効にしようとした。正義と正義の衝突であり、やがて支那事変という全面戦争状態となるが、こうした中での南京国民政府の首都である南京攻略戦であった。

■谷口勝著「征野千里 一兵士の手記」昭和13年12月、新潮社刊

<(1937年12月13日の)夜が明けるとすぐ城門への突入がはじまった。前方には城壁をとり巻いて幅三十メートルほどのクリーク(川)があった。クリークの土手は三間ほどの道路になっていて、そこに塹壕があった。

城門はすでにぴったり閉ざされて、泥や砂がいっぱい積んである。クリークの土手の敵は、城内に逃げ込む道はなかった。堪えかねてバタバタバタと城門へ走っていくが、片っ端から友軍(日本軍)の重機(機関銃)に薙ぎ倒されて、山のように重なって倒れていく。

友軍の工兵が、材木に板をならべた筏のような渡架橋をもって走った。城壁の上から手榴弾と機関銃が降ってくる。渡架橋は水煙をあげてクリークに投げ込まれた。

城壁が轟然と音をたてて爆破される。大きな坂ができたように土砂がザーッと崩れ流れた。ドーッと隣の○隊が飛び出したようだった。やがて城門を埋(うず)めた小山のような泥の坂のところで日章旗がしきりと打ち振られた。戦車は轟音を立てて動き、私たちもまた一斉に進軍した。

「十二時十二分!」と小林伍長が叫ぶ。ただ敵の死体と散乱する軍需品の海だった>

■西尾先生曰く、「中野部隊の谷口勝上等兵の書いた本である。大変感銘を受けた一冊で、表現が非常に正確だ。その本が信じられるか否かは、結局文章で、著者が何を見ているか、それが正確に記されていること、直接的で、具体的で、観念的でないことがポイントになる。

敗残兵に残酷な事件が起こったと称する、いわゆる「南京虐殺事件」があったとしたら、その片鱗でもうかがえるはずだが、谷口上等兵の記述にはそんな言葉は一切ない。南京陥落が12月13日、松井岩根大将の南京入場が17日、18日には慰霊祭が行われている。14日はまだ大混乱が続いていた。15、16の両日で30万人の虐殺ができるだろうか。まったくありえない話だ。

いま日本はありもしない「南京虐殺事件」、「従軍慰安婦」のようなデタラメを世界中に宣伝されている。そんなデマが世界中に行き渡ったら、日本という国は真っ黒に塗り込められてしまう。アメリカもオーストラリアも中国も韓国もそれを狙っている。対応を間違ってはいけない」。(2013/10/2)

GHQ焚書図書開封」読書メモ(3)平井 修一

西尾幹二著「GHQ焚書図書開封 - 米占領軍に消された戦前の日本」で紹介されている焚書図書のサワリ。以下の本から1937年(昭和12)12月の南京攻略戦のごく一部を転写するが、背景を少し説明しておこう。

支那では清朝の統治能力が衰えて内乱状態が続いていたが、1912年に孫文が中華民国の樹立を宣言。清朝が滅亡したものの、やがて全土が分裂し軍閥が割拠する時代となった。

1926年の孫文の死後に蒋介石(国民党)が国内の勢力を統一し「中華民国南京国民政府」を標榜、主に軍閥・張作霖の北京政府撲滅を目指し北伐を開始する。

蒋介石は意欲的に中国の近代化を進めたが、ソ連の支援を受ける毛沢東らの中国共産党は農村を中心として支配領域を広げていき、国共内戦が激化していく。

1932年、日本の支援を受けて満洲国が建国されると、支那では全国的に抗日世論が高まり、1936年にはソ連の仲介(謀略)と恫喝で国民党と共産党の国共合作が成立した。1937年7月の盧溝橋事件からは日本人居留民、日本軍を攻撃する抗日事件が相次いだ。

日本は清朝時代からの支那政府との条約で得た支那における権益、居留民の安全を条約に基づき軍事力で守ろうとし、一方で蒋介石の南京国民政府は「革命外交」を掲げて日本の権益を、米国の支援をうけつつ軍事力で無効にしようとした。正義と正義の衝突であり、やがて支那事変という全面戦争状態となるが、こうした中での南京国民政府の首都である南京攻略戦であった。

■谷口勝著「征野千里 一兵士の手記」昭和13年12月、新潮社刊
<(1937年12月13日の)夜が明けるとすぐ城門への突入がはじまった。前方には城壁をとり巻いて幅三十メートルほどのクリーク(川)があった。クリークの土手は三間ほどの道路になっていて、そこに塹壕があった。

城門はすでにぴったり閉ざされて、泥や砂がいっぱい積んである。クリークの土手の敵は、城内に逃げ込む道はなかった。堪えかねてバタバタバタと城門へ走っていくが、片っ端から友軍(日本軍)の重機(機関銃)に薙ぎ倒されて、山のように重なって倒れていく。

友軍の工兵が、材木に板をならべた筏のような渡架橋をもって走った。城壁の上から手榴弾と機関銃が降ってくる。渡架橋は水煙をあげてクリークに投げ込まれた。

城壁が轟然と音をたてて爆破される。大きな坂ができたように土砂がザーッと崩れ流れた。ドーッと隣の○隊が飛び出したようだった。やがて城門を埋(うず)めた小山のような泥の坂のところで日章旗がしきりと打ち振られた。戦車は轟音を立てて動き、私たちもまた一斉に進軍した。

「十二時十二分!」と小林伍長が叫ぶ。ただ敵の死体と散乱する軍需品の海だった>

■西尾先生曰く、「中野部隊の谷口勝上等兵の書いた本である。大変感銘を受けた一冊で、表現が非常に正確だ。その本が信じられるか否かは、結局文章で、著者が何を見ているか、それが正確に記されていること、直接的で、具体的で、観念的でないことがポイントになる。

敗残兵に残酷な事件が起こったと称する、いわゆる「南京虐殺事件」があったとしたら、その片鱗でもうかがえるはずだが、谷口上等兵の記述にはそんな言葉は一切ない。南京陥落が12月13日、松井岩根大将の南京入場が17日、18日には慰霊祭が行われている。14日はまだ大混乱が続いていた。15、16の両日で30万人の虐殺ができるだろうか。まったくありえない話だ。

いま日本はありもしない「南京虐殺事件」、「従軍慰安婦」のようなデタラメを世界中に宣伝されている。そんなデマが世界中に行き渡ったら、日本という国は真っ黒に塗り込められてしまう。アメリカもオーストラリアも中国も韓国もそれを狙っている。対応を間違ってはいけない」。(2013/10/2)

GHQ焚書図書開封」読書メモ(4)平井 修一

西尾幹二著「GHQ焚書図書開封 - 米占領軍に消された戦前の日本」で紹介されている焚書図書のサワリ。今回とりあげる「濠州聯邦」とは豪州オーストラリア)連邦のこと。英連邦王国の一国である。

小生がオーストラリアへ行ったのは10年以上前で、観光資源の視察が目的だった。関係者が言うには「オーストラリアは若い国だから過去にとらわれない斬新な発想をする」そうで、ホテルの厨房でコックさんの仕事ぶりを見ながらディナーを楽しむというのも同国が最初だったから、「なるほど斬新なんだなあ」と思ったものである。

シドニーではOLが裸足で道を歩いていた。銀座、丸の内を裸足で歩く人はいないから、「ああこれも斬新のひとつか」と妙に感心した。

この国がいつできたのかは曖昧だ。1901年には豪州連邦が成立しているが、1986年のオーストラリア法制定で英国から完全独立をしたというから、ついこのあいだ建国されたと言うこともできる。

オーストラリアが欧米に知られるようになってからの歴史は浅い。1770年に英国人探検家ジェームズ・クックが現在のシドニー郊外、ボタニー湾に上陸して領有を宣言した。

1770年は日本の明和7年で、田沼意次が政権を握っていた田沼時代の真っ盛り、蘭学が始まった頃だった。明治維新の100年前だから古い話ではない。

領有宣言以降は入植が始まったのだが、1788年からアメリカに代わる「流罪植民地」として英国囚人の移民が増えていった。それまではアメリカが英国の流刑地だったが独立によりオーストラリアが流刑地になったのであ
る。初期移民団1030人のうち736人が囚人で、「囚人の総数は6万9000人にもなった」(西尾先生)という。

1800年代から自由移民が増えていったが、今でもオーストラリア人は出自を語るときに「自分の先祖は19世紀に移民してきた」と必ず言い、つまり「囚人の子孫ではない」とアピールするそうである。

1828年に全土が英国の植民地となり開拓が進んだ。内陸を探検し、農牧地を開拓したのだが、その過程で先住民から土地を取り上げて放逐、殺害が相次いだ。1830年までに純血のタスマニア島先住民は絶滅させられた。英国の植民地政策はこのようなもので、アメリカではインディアンを絶滅寸前にまで迫害したことは広く知られている。

現在、オーストラリア住民の90%がヨーロッパ系白人であり、アジア人が7%、アボリジニなどが2%。移民は全体の約2割を占め、出身国はイギリス、ニュージーランド、中国、イタリア、ベトナムが多い。1975年に人種差別禁止法が制定されるまでは白色人種以外の移民を受け入れることを基本的に禁じていた。

住民の主流を占める白人による、先住民アボリジニや有色人種に対する迫害や差別の歴史があり、現在も黄色人種、黒人、中東系などの有色人種に対する優越思想「白豪主義」が一部に存在しているという(注)。

戦前の日本はこうした英国、オーストラリアの植民地支配を非常に恐れていた。「斬新な国」の裏の顏は「残虐な国」だった。今では「日豪は基本的価値と戦略的利益を共有する戦略的パートナー」などと両政府は言っているが、「英豪は油断できないぞ」と警告しているのが「濠州聯邦」という本だった。

■宮田峯一著「濠州聯邦」昭和17年9月、紘文社刊
<(英国植民地オーストラリアの)英人移住地方において、原住民が急激に滅亡したについては、三つの主な原因がある。殺害によるもの、悪病と酒類の伝播によるもの、生活様式の急激な変化のよるものである。最悪なるは殺害で、ブリスベン総督のごときは原住民を一団にして射殺することを許可している。

また移民の中には食物にヒ素を混入して黒人に与えて毒殺するといった悪辣で卑劣極まる殺人を犯すものもあった。これはラング博士も1847年に発行した著書の中に述べている。ジョージ・ロビンソンも毒殺は原住民減少の一原因であると述べている。

原住民族の滅亡の経路は戦慄すべく、嫌悪すべき一大悲劇であって、われわれは湧き上がる義憤を禁じ得ないのである>

■西尾先生曰く、「これらはアングロサクソンの常套手段であった。彼らはタスマニアの原住民を絶滅し、二十万人から百万人いたオーストラリアの原住民をわずか二万人にしてしまった。絶滅を意に介さない一連の行為の中に、昭和二十年三月の東京大空襲や広島・長崎に対する原子爆弾の投下もあったと見るべきだ。

アングロサクソンには白人以外の人間や文化を支配し滅ぼそうという傾きが根源的にあるのではないか。だから、最後まで抵抗しようとした日本民族に対しても徹底的な打撃を与えようとした。それが大東亜戦争の発端であり、帰結だ。誇り高き日本民族はなんとか抵抗しようとしたが、刀折れ矢尽き、力尽きたというのが現実だ」(2013/10/6)
           ・・・
注)白豪主義:白人最優先主義とそれにもとづく非白人への人種差別的な排除政策、およびその思想。ウェスタンシドニー大学の調査によると、オーストラリア国民の10人に1人が「白人至上主義者」であり、人種差別的視点を持つ者が少なくないことが明らかとなった。

GHQ焚書図書開封」読書メモ(5)平井 修一

西尾幹二著「GHQ焚書図書開封 - 米占領軍に消された戦前の日本」をざっと紹介してきたが、全7巻中の第1巻目だけでも紹介しきれないくらいに興味深い内容が詰まっている。とりあえず今回で終わりにするが、西尾先生の言葉をいくつか記しておきたい。

■日本の起源と独立戦争

一国の国民が胸を張って生きるにはそれなりの根拠が必要だ。アメリカは清教徒が移民の旗を振って渡ってきたから、「自分たちは神の子だ」という神話がある。カナダはタラ漁の商人が移民してきて、それなりの自負はある。
一方でオーストラリは「囚人の捨て場」が起源で、未だに意気が上がらない。原因はこの起源のことと、近代国家を形成していく過程で戦争を経験していないことだ。戦争をして独立した国は今でも胸を張って生きている。アメリカは本国イギリスと戦って独立し、主権を獲得した。

日本の行った独立戦争、日本の国家の起源は何であるか。国家の起源は神武天皇、神話にある。胸を張ってそれを言わなくてはならないし、それによって自分たちのアイデンティティを守らなければならない。アメリカなどの新しい国とはまるっきり違うのだ、歴史と伝統をもった国だという誇りをもたなければならない。

では、日本の独立戦争とはなんであったか。

明治27年の日清戦争であり、明治37年の日露戦争だ。近代国家になるとき日本は諸外国の抑圧をはねのけるようにして日清、日露の戦争を戦い、それでもって独立、主権を勝ち得たのだ。

日本は神話を国家のシンボルとし、日清、日露の戦争によって主権を勝ち得た。この2点によって、この上ないアイデンティティを確立したのである。

■「歴史の連続性」を断った焚書

日本の敗戦後、アングロサクソンは焚書をした。「われわれ日本人は間違っていなかったんだ。われわれは正しかったんだ」という思いを日本人の歴史記憶から消し去るためだ。

私たちにとても大事なことは「歴史の連続性」である。焚書はそれをかき消す、まさに憎むべき行為だ。歴史を消されることによって何が起こるか。自分たちの民族の歴史の代わりに、外国の意図通りにつくりかえられた歴史を「真実の歴史」と思い込まされてしまう。自己の来歴を見失い、自国の文化や伝統にアイデンティティの自覚を持てなくなってしまう。アングロサクソンの占領政策のポイントはまさにそこにあった。

焚書された書物を少しでも多く公開したい。こうした本のなかには、われわれ日本人にとって非常に大事な「真実」が語られているのだ。

■米国に焚書図書文献の返還要求を

焚書図書は七千数百点あり、紹介し始めたらここで終わるということはなく、際限がない。私にできることは限られている。焚書された本の存在を日本人に知らせること、奪われた歴史の一部を少しでも取り戻すこと、つまり消された本の「開封」にとどまる。

焚書図書の二割くらいしか手に入らなかったし、仮に本の山を目の前にしても、私の人生には限りがあり、終わりのない歴史の探究は海図のない航海のようだ。私以上に出版社にとっても不安であり、今度もまた徳間書店がこの危険な冒険の同行者になってくれたことに感謝する。

歴史の発見は現代への疑問から始まる。そういう人々は、GHQに消されていた歴史をこのままにしておいてはいけないと強く感じるだろう。次の世代の人々は「開封」を「研究」にまで発展させてほしい。

ネットでテキストが容易に入手できる日の到来を待っている。アメリカの議会図書館に保存されている焚書図書文献の返還要求の声も上げてほしい。私は日本の若い知性を信じている。(おわり)(2013/10/10)


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