2013.06.16 父の日に
父の日に
植村 眞久 海軍大尉
昭和19年10月26日 神風特別攻撃隊大和隊、第一隊々長として出撃
              レイテ島東方海面の米機動部隊に特攻、散華(享年25才)

(内地出発前夜)
内地を出発する前夜、植村眞久は大村基地から東京の自宅に長距離電話をかけた。妻に生後三ヶ月の娘・素子の声を聞かせてくれるよう頼んだが、娘はにこにこ笑うだけで声を立てない。彼は「お尻をつねって泣かせてくれ」と頼んだが、妻は笑っている娘にそれも出来ず、乳を含ませて飲み始めたところで離すと泣き出した。
彼は電話越しに娘をあやし、やがて電話を代わった母親に「子供は本当に可愛いものですね。お母様たちのご恩を深く感じます」としみじみ語ったという。
(愛児への便り)
素子、素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。
私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。
素子が大きくなって私のことが知りたい時は、お前のお母さん、住代伯母様に私の事をよくお聴きなさい。私の写真帳も、お前の為に家に残してあります。
素子といふ名前は私がつけたのです。
素直な心のやさしい、思ひやりの深い人になるやうにと思ってお父様が考へたのです。
私はお前が大きくなって、立派な花嫁さんになって、仕合せになったのをみとどけたいのですが、若しお前が私を見知らぬまゝ死んでしまっても決して悲しんではなりません。
お前が大きくなって、父に会いたい時は九段へいらっしゃい。
そして心に深く念ずれぱ、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮びますよ。
父はお前は幸福ものと思ひます。生まれながらにして父に生きうつしだし、他の人々も素子ちゃんを見ると眞久さんに会っている様な気がするとよく申されていた。
またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一つの希望にしてお前を可愛がって下さるし、
お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。
必ず私に万一のことがあっても親なし児などと思ってはなりません。
父は常に素子の身辺を護って居ります。
優しくて人に可愛がられる人になって下さい。
お前が大きくなって私の事を考へ始めた時に、この便りを読んで貰ひなさい。
                      昭和十九年○月吉日父 植村素子ヘ
追伸、
素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。
だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。
素子が知らずにいると困りますから教へて上げます。
(戦後二十二年)
父・眞久が散華してから22年目の昭和42年3月、素子さんは父と同じ立教大学を卒業。
4月22日素子さんは靖國の社に鎮まる父の御霊に自分の成長を報告し、母親や家族、友人、父の戦友達が見守るなか、文金高島田に振袖姿で日本舞踊「桜変奏曲」を奉納した。
舞い終わり友達から花束を受け取った素子さんは、「お父様との約束を果たせたような気持ちで嬉しい」と言葉少なに語ったという。
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http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/sinpu-uemura.htm より転載

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