大東亜戦争、大日本帝国、そして敗戦
************  宮崎正弘(ホームページ http://miyazaki.xii.jp/ )        
 インド、フィリピン、ベトナム、そして台湾で中国の新旅券が問題となった。券面にインド領もフィリピンの小島も、ベトナムと領有を争う島々も「中国領」と記されていたため関係国が北京に猛烈に抗議した。
 この報道をみていて何かのネガフィルムを見たような錯覚に囚われた。
 ▼降伏文書の調印
戦前の日本は「大日本帝国」を名乗った。
 昭和二十年八月十五日、敗戦。『大日本帝国崩壊ーー東アジアの1945年』(中公新書)の著者である加藤聖文氏はミズリー号艦上における降伏文書調印よりも八月十五日にこだわり続け、次のように言う。
 「戦後の日本人はなにか歴史の大きな視座を見失ってしまった」。なぜなら「帝国の崩壊は、同時に新しい国家、新しい国際秩序の誕生をもたらした。日本人にとって大国の崩壊の結果、朝鮮半島や台湾や満州で起きた新国家の誕生は決して無関係ではない。現在の東アジアの国々の成り立ちに、どのようなかたちで日本が歴史的に関わっていたのか」と加藤氏は視点をがらりと変えて、戦後新興国家独立のプロセスに重点を移行し、あの戦争と、そして「大日本帝国」という、いまとなっては幻影となった過去を冷静に歴史家としてやや酷薄に振り返る。
 日本の降伏とはポツダム宣言の受諾である。
 加藤聖文氏は続ける。
 「ポツダム会談では個別具体的な問題になると意見の対立が見られたものの、後の冷戦時代のイメージとは違って、米英ソ三国には依然として『戦友』ともいえる感情が共有されていた。トルーマンやウィンストン・チャーチル英首相はソ連の出方を警戒していたが、ヨシフ・スターリン個人に対して感情的反感を持っていたわけではなく、むしろスターリンの指導力とソ連の役割には期待するところが依然として大きかった」
 しかもポツダム宣言は、トルーマン一人がサインした。この歴史的事実が存外知られていないが、ついでに加藤氏が触れていないことも書いておくと「カイロ宣言」はプレスリリースの類いで法的合法性はない。
 ポツダム会談に蒋介石は呼ばれず、事前の工作も希薄な上、米英との通信が途絶しがちだった。蒋介石は重慶にいた。「内容の詰めも行わず無電による一方的な確認を取っただけで、トルーマンが独断で宣言へ署名した」
 驚くべきことである。
 ▼ポツダム宣言はトルーマンの一人芝居だった
 日本の戦後はヤルタ・ポツダム体制(YP体制)によって枠が嵌められた。押しつけられた憲法を「ポツダム憲法」とも呼ぶが、なんとこの宣言の中味はトルーマンの一人芝居だったのだ。
 そのうえ、「米国政府内部でも綿密に議論が積み重ねられたわけではなく、またポツダム会談でも米英ソ三国による協議が行われないまま慌ただしくできあがった」
 そのような拙速にもかかわらず戦後日本ばかりか東アジア全ての戦後に巨大な影響力を持った。
 第一に韓国では日本の降伏直後に祝賀行事もなく、まして九月六日に「朝鮮人民共和国」が樹立される予定だったが、マッカーサーが潰した。大日本帝国崩壊の余波である。
 「北緯三十八度線以南の朝鮮がマッカーサーの権限のもと、当分のあいだ軍政が布かれることが明らかになった。この布告第壱号によって呂運亮が目指した『朝鮮人民共和国』の即時樹立は完全に否定され」、やがてアメリカ傀儡の李承晩が亡命先からソウルにやってくる。「南朝鮮での公用語は英語とされた」のだ。
 ソ連の火事場泥棒のごとき侵略行為は日本人の反ソ感情に火をつけ、いまもロシアに心を開く人が少ないけれども当時の蒋介石にとってもスターリンは許し難い存在だった。
 「ソ連が、ヤルタ協定によって獲得したモンゴル独立、大連港の優先的利用権、旅順港の租借権、旧東支鉄道および満州鉄道の中ソ共同経営権は、蒋介石の同意を必要とした」。このためモンゴル独立と引き替えに屈辱的譲歩を繰り返したのが蒋介石だった。
 台湾は蒋介石が進駐し、旧樺太ばかりか、全千島列島はソ連の強欲な領土欲に飲み込まれてしまった。旧満州は国共内戦の激戦地となり、ソ連の援助を得た毛沢東が最後に微笑んだ。
 加藤氏の著作は、このほか南洋の島々の運命を克明に描き、満州の開拓団と関東軍との齟齬を列記している。
 しかし東京五輪を知らない新世代ゆえに、感情移入がなく、日本の行為を客観視して描くため或いは不満が募る向きも多いだろう。
 ▼林房雄『大東亜戦争肯定論』以後 
 一方、日本の戦略目標の歴史的評価は林房雄『大東亜戦争肯定論」が嚆矢となり、その後も夥しい著作群が生まれた。
 いま評判を取る最新作は佐藤守氏の『大東亜戦争は昭和五十年四月三十日に終結した』(青林堂)だ。これは「太平洋戦争は昭和20年8月15日に終わったが、大東亜戦争は昭和50年四月30日に集結し、アジアは欧米列強の植民地からすべて解放された」とする歴史解釈である。
 すなわち日本の対米英戦争によりインドネシア独立、インド徳立、フィリピン、ビルマの独立が達成せられた。
 最後にベトナムが植民地支配の桎梏から独立を勝ち取った。
 台湾へも毛沢東との戦争で台湾軍を鍛えるために日本の旧兵士らが赴いたことは、門田隆将氏が白団をモデルにした著作にも詳しいが、最近の井川一久氏らの研究によりベトナム残留の日本軍兵士およそ600名が対仏、対米戦争に加勢したことが判っている。そして日本軍の残留兵士の指導によってベトナム戦争で米国が敗れるという結末があり、これで大東亜戦争は終わった。
 結局、「日本は大東亜戦争に勝利した」(佐藤守前掲書の結語)ことになる。
      (本稿は『世界と日本』13年1月11日号からの再録です)
参考:【討論・大東亜戦争肯定論】平成21年チャンネル桜
  http://www.nicozon.net/watch/sm7963735
  http://www.nicozon.net/watch/sm7963072
パネリスト: 阿羅健一(近現代史研究家) 佐藤健志(評論家)富岡幸一郎(文芸評論家・関東学院大学教授)渡部昇一(上智大名誉教授)中村粲(独協大名誉教授・昭和史研究所代表) 中條高志(英霊にこたえる会会長)
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