移民政策を取った欧州の現状 – 日本人より生の報告をご紹介 八重桜の会ブログ記事より
(ASREAD2014/10/11より)
【スイス、ハンガリー、オーストリアの移民政策後の状況】
もともとフランス系、ドイツ系の入り混じる多民族国家であったスイスにこの夏に長期滞在した日本人で八重桜の会の運営メンバーからの報告。もう一つは「外国人家事・育児労働者に関するアンケート」で、期限外となってしまったためアンケートでは紹介できなかったものの大変有用なコメントを日本人女性の方からいただきましたので、それを紹介します。

スイスの20%くらいがドイツからの移民だそうで、スイス人との結婚も多い。
ドイツ、イタリア、フランスからの移民とは兄弟姉妹のように同じ価値観を共有しているが、文化的な背景が違うハンガリーやポーランドとは軋轢がある。
首都ベルンの周辺は街が少しすすけている。線路に沿って落書きが続いている。イスラム文化はあまり入りこんではいないようだ。モスクは見当たらないが、ベールを被った女性はよく見かける。レストランはタイ料理が目立ち、ウエイターもタイ人が多い。
駅のトイレは2スイスフランで男女の別なし。
お掃除は黒人の男性。

スイスは医師、看護師が不足。それをポーランドなどの移民が補うため、スイスのためにはよいが、ポーランドでは深刻な看護師不足となり社会問題となっている。
賃金の高い国に技術者が集まり、豊かな国はより豊かになる。

スイスの教育は全て国立なので基本は無料だが、専門によっては家から通えないケースが多々あり、アパートと生活費の負担が大変。
豊かな家が高い教育をという連鎖。

スイス、ウィーン、ブタペストをまわり感じたこと。
民族が入り混じるスイス。多民族国家には覚悟があるということ。
医療、学校、福祉は完璧だが、税率は高い。兵士がたくさんいて、国を守っているのがわかる。
生きる覚悟をきちんと教えている。
物価は高いが、アメリカの侵略から経済を守っているのがわかる。大きな外資系スーパーはない。食の安全に関しても国民の意識は高い。
子供達もおやつにスナック菓子を食べずに、キュウリやパプリカ、全粒粉のパンを持ち歩く。
核シェルター普及率 日本は0.02%、スイス・イスラエルは100%

オーストリアはハプスブルク家によりつくられた小さなおとぎの国だ。
ウィーンでは移民がたくさん働いている。トイレ、清掃など肉体労働は黒人。
レストランは様々な人種が働く。
タクシードライバーはイラン人だった。
ハプスブルク家の権力を今だに見せつけられる白人優位社会。
ハンガリーは社会主義の名残がある。
ヨーロッパ大陸で初めて敷かれた地下鉄の一号線は浅く、天井も低い。古い車両のつり革は今でも皮。
人々の表情はあまり明るくないが、話すとユーモアがありガラッと変わる。
一流レストランのウェイターが一緒に写真を撮り、メイン料理を「Macチーズバーガー」と真顔で給仕したり。
大きなスーパーはない。「SPAR」が街中にたくさんあり、食料は安い。
レストランは日本と同じくらいの値段か。屋台のランチが一皿600円くらい。レストランで夜は3000から5000円くらい。高いところはそれなりに高級なのでランチだけ挑戦。
お料理は美味しい。
肉の味に薬臭さがない。(アメリカの肉は臭い)

ハンガリーは90%はハンガリー人(マジャール人)で移民は少ない。黒人もいるが、肉体労働もハンガリー人がやっている。
スイス、オーストリア、ハンガリーともに農業を大事にしている。ハンガリーの美しい丘陵、スイスの手入れされた山、オーストリアの平原の美しさ。
空気がきれいで、空が青い。

標識は、スイス、オーストリア、ハンガリーとも自国語標識だけ。
民族の独立と国家への忠誠を感じる。至るところに国旗が掲げられている。

ハンガリーはかつてトルコ人に支配された時に、キリスト教会がイスラムのモスクに改装された苦い歴史をもつ。
国の独立を勝ち取ることがいかに大変かを知り尽くしている民族だ。
単純労働の移民は受け入れていない。
【スウェーデンにおける移民達の実情】
2年前に6年間位、スウェーデンのストックホルムの移民が沢山居る地域に住んでいました。
外国人は身分証明の提示等余程の事情が無い限り家に入れる事自体が危険な状態でした。
長年の移民政策の結果、肝心のスウェーデン人が外国人に気を使い、小さくなって暮らす?とても治安の悪い国になっていました。
近くの学校は滞在中、2回も放火され、放火した子供達は移民という事もあってか? ほとんど無罪放免です。

 彼らは駐車場や路上駐車中の車にも放火度々し、時には公衆電話も壊され、しまいには近くの広場の銀行も襲撃されたので少し離れた街に移転してしまいました。 残ったATMも壊され、日本に帰国する頃には本当に不便な街になっていました。
 これらの事は日本人には考えられない事ですが、彼らの間では何も問題は無いのでしょう。
海外に住んで移民政策の現実を目の当たりにし、比較的平和な日本をこの様にしてはいけない、子孫の為にも高度人材にせよ、家事サービスにせよ外国人が増える事は、移民を受け入れる事になるのですから絶対に阻止するべきです。
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 スウェーデンの移民に関する動画は多数YouTubeに上がっていますが、それを裏付ける報告ですね。
 さて、ここで八重桜の会として問題提起したいのは、「仮に大量の移民を受け入れたら、日本はスイスやオーストリアにより近い形になると思いますか?それともスウェーデンのようになると思いますか?」ということです。
 「スパイ防止法もなく、他国語、それも英語だけでなく、仮想敵国の国の言葉の標識まで掲げ、学校で日の丸を掲げることが日本人の間で議論になってしまう。
島国という環境も幸いしていたが、これまで「国の独立」のありがたみを考える機会が少なかった日本人。
階級社会ではなく、過去の歴史においても奴隷制度がなかった数少ない国、日本。
その日本で、外国人労働者や移民を受け入れていいのですか?」ということです。

その意味で、日本はアメリカやシンガポールなどの移民国家はもちろん、
スイスとも全く違う状況であることがお分かりいただけるのではないでしょうか。
 ちなみにそのスイスですら、移民を制限する国民投票が今年可決しました。
スイスが国民投票で移民規制支持
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA1802820140210

 「他国に倣って移民を受け入れるのが、グローバルスタンダードだ!」
という面々の主張の空虚さは、他国の事例や歴史を研究すれば研究するほど
明らかになっていくのではないでしょうか。
(ちなみになぜかこういう方は、「他国に倣ってスパイ防止法を制定するのが、
グローバルスタンダードだ!」とは言わないですね)

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外国人メイドを雇ったことのある日本人女性の体験談をご紹介
http://www.sakuranokai.org/article/401405288.html
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“多民族共生の社会をめざす”の美辞麗句は“国家解体屋”さんのあま~ぃ囁きだ!
欧米各国で孔子学院を閉鎖へ

 孔子学院の閉鎖が北米大陸から欧州へ飛び火した。
 米国では大学教授連合の強い抗議によりシカゴ大学、ペンシルベニア州立大学が、くわえてカナダのマクマスター大学が同院を閉鎖した。

 スウェーデンのストックホルム大学も「中国との交流窓口」ということだったうえ、中国政府が資金を提供するというので許可したが、ついに「孔子学院」の閉鎖を決定した。
同学院は語学研修機関という触れ込みなのに、中国共産党が司令する教科書や、政治プロパガンダが為されており、従前から学内外で批判の声が上がっていた。

 ストックホルム大学副総長は「政治的影響があることは明白な事実だ」と強い批判を展開した。

 孔子学院は中国政府が政治宣伝の一環として、外国の若者を大五列にするため、膨大な資金と講師の提供をしてきたが「これはトロイの木馬」であり、「中国共産党の宣伝工作をしつつ、将来的にスパイを養成する目的が含まれている」と世界的規模で批判されてきた。
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成27年1月14日(水曜日)弐より
2015.01.11 慰安婦の真実
『慰安婦の真実』(論文集)(日本語版)
ヘンリー・ストークス、トニー・マラーノ、加瀬英明、茂木弘
 いわゆる慰安婦問題は日本および日本人に対する侮辱であるだけでなく、韓国および韓国人にとっても侮辱的なことです。
 慰安婦強制連行などというひどい話が本当であるということになると日本人は厳しい批判を受けるのは当然です。しかし、これは同時に韓国人への重大な侮辱ともなります。なぜなら、20万人もの韓国の女性が家から強制的に連れ去られたというのに、ただの一件の暴動どころか抵抗すら起こっていないのですから。こんなことは韓国人にとってこれ以上ない屈辱ではないでしょうか?世界の歴史上これほどの臆病な国民がいたことはないからです。
 慰安婦の真実を理解していただくためにこの小冊子をまとめました。イギリス人、アメリカ人、日本人二人、計4点の論文で構成されています。これを読んでいただければ、世界中の公平で開かれた考えを持つ人なら、慰安婦問題に対する正しい理解を持っていただけるものと確信する次第です。

日本語版全文

http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Women.pdf

 英語原文版は昨年末米上下両院などに手紙を付け、クリスマスプレゼントとして送付しました。昨年末下記の通り海外に紹介しました。

平成27年1月9日「史実を世界に発信する会」事務局長 茂木弘道拝
2015-01-06 17.43.46
6~7日札幌駅地下歩道空間「チカホ」での第二回慰安婦問題パネル展風景
年が明けて15分である。
購読の宮崎正弘の国際ニュース・早読み(元旦特大号)を紹介する。
本年の「歴史修正戦」に打ち勝つ武器を手にしよう!!
『朝鮮問題と日清戦争』渡邊惣樹(草思社)
雄渾に描き出した日清戦争の「戦前」「戦中」「戦後」外交史
  欧米の資料から通説を打破し、新視点を劇的に提示した力作登場
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 またまた論壇を震撼させる大作、問題作を渡邊氏がものにされた。
この本で扱われるテーマは日清戦争を挟んでの朝鮮半島とシナの歴史、日本との関わり方。とりわけ戦後日本の怪しげな歴史学者があたかも日清戦争が「日本の侵略」であったかのような左翼の政治宣伝臭の強い学術書や新書版を俎上の載せながら、それらの虚説をばっさりと斬る。
 なにが問題かと言えば、日清戦争へ至る過程を視野狭窄の日本史学者がこれまで提示してきたが多くの論点に無数の間違いがあることだ。
それも西郷さんの「征韓論」から説き起こし、福沢諭吉らが中心だった金玉鈞の朝鮮独立支援と朝鮮への訣別をろくに文献も読まずに帝国主義などと批判する浅薄な左翼アカデミズムを、別の手法で木っ端みじんとしている。
ハースト家のイエロー・ジャーナリズムがでっちあげた「旅順大虐殺」に関しても科学的にあり得ないことが論破されている。
 渡邊氏が提示した新視点はアメリカ、英国、そしてフランス、露西亜の動きを同時に追いかけての複合的アプローチである。この複座から近代をみると、これまで解けなかった多くの近代史の謎が霧が晴れるように解けてゆくのである。
 すなわち、朝鮮の蒙昧を覚醒させ、開国させたのは日本なのだ。
その背景には英国のロシア南下予防という国策があり、やがて日英同盟となっていく。英国は「ゼームス」と名乗る謎の人物を明治政府要人と接触させて多くの機密情報を与えた背景が濃厚にある。
南北戦争で疲弊したアメリカはそれなりの外交感覚を日本に教え込み、明確な日本支援の体制があった。アメリカは早い段階で朝鮮を見限っていた。
また宣教師虐殺にフランスが激高したにもかかわらず以後、朝鮮からさっと手を引くのは、メキシコにたてた傀儡政権のことで手が一杯だったことと隣国ドイツの脅威が目の前にあったからだ。
また朝鮮を「属国」として扱ってきた清が国際外交を前にして二枚舌、三枚舌を弄して時間稼ぎをしていたことなど多くの国際的要素が舞台裏で多大な影響をもったことを淡々と事実を叙述されながら客観的にかつ具体的に述べているのである。
 まずは広く流布してきた従来的な「征韓論」解釈への疑義である。
 「征韓論」を西郷さんが唱えたと戦後の左翼歴史学はさかんに強調し、これが朝鮮侵略のテキストであるかのごとき風説、誤解を撒き散らした。
 西郷さんは朝鮮の非礼を糺すために道義と礼節を説くために単身ソウルに乗り込もうとしており、当然だが死を覚悟していた。
もし西郷が朝鮮で殺されれば、日本は報復戦に出撃せざるを得なくなり、新政府としては財政もよちよち歩きの段階で、それは自殺行為になるから隠忍自重せよと木戸、大久保は参議で論争した。これが明治六年政変の直接の切っ掛けとなって西郷、桐野、江藤らがこぞって下野し、新政府は岩倉、木戸、大久保らで守ることとなった。
かれらは西郷ら強硬論と異なり、朝鮮との関係改善にきわめて慎重だった。つまり征韓論とはイメージのひとりあるきに過ぎず、そういう暴論は最初から存在しなかったのだ。
 「にもかかわらずこの政変からわずか二年後には漢江河口にある江華島で朝鮮との軍事衝突が起こり、その翌年には早くも日朝修好条規が結ばれる」(中略)「条規の締結には(背後で親分である)清国の承認があった」。
 それなのに、なぜ日本と清国はその後の戦端をひらくに至るのか?
 ▼近代史は不思議なことばかりである。
朝鮮を開国させたのは日本である。日本はペリーの役割を果たしたが、なぜ、あの時期に国際情勢が日本にそこまでの歴史的プレイヤーを演じさせたか。
 その後、アメリカは暗黙裏に日本の行動をサポートした。それが「謎」である。
 渡邊氏は、従来の日清戦争を二国間関係、いや朝鮮は清国の属国だったわけだから日清二ヶ国の文脈で歴史を解釈してもいいことになるが、そうではなく同時期にアメリカ、英国、フランス、そしてロシアが背後でどう動き、どのような役割を演じたか。それによって日本の方針がいかに左右されたかを淡々と事実を並べ、また同時に新発見の資料を駆使して、従来の解釈をつぎつぎと転覆させていくのである。
 また外国人顧問団と舞台裏での活躍が、はっきりと映像が浮かぶように説かれる。これまでの類書にはまったくでてこない日本外交のご意見番的なアメリカ人学者のアドバイザーがいた。日本にはスミス、朝鮮にはアレン、そして清国にはフォスターというブレーンが背後で助言していたのだ。同時に諸外国の大使、公使とその周辺を囲んだロビィストや政商にはキャリアのない詐欺師や一攫千金を夢見る有象無象がいた。
 1852年、ペリー提督の艦隊は日本へむけて船出した。その頃、日本に多大な関心を抱いていたのがウィリアム・スワード上院議員だった。かれこそはリンカーンと大統領選挙を争い惜敗した政治家で、リンカーン政権で国務長官となって外交を任された。そしてリンカーン暗殺後のジョンソン政権でもスワードは国務長官にとどまり、おりから軍艦の買い付けにきた日本使節団を歓待した。
スワード長官は実にあっさりと最新軍艦を日本に売却することを認めた。
 同時期、朝鮮海域で米国戦が行方不明となり、またフランス人宣教師が殺害され、1866年にはフランス人宣教師九名をふくむキリスト教徒一万人が虐殺された。
「スワード長官は駐ワシントン仏公使に合い、朝鮮開国を共同プロジェクトとして進めないかと持ちかけた。(狙いは)米仏友好関係の回復を世界に示すことができる。同時に日本開国に続けてアメリカの極東外交の展開にあらたな花を添えることになる」。
アメリカは南北戦争の荒廃からインフラ構築に精力を傾けていた時期であり、フランスはビスマルク・ドイツの勃興を前に極東プロジェクトへ関与する余裕がなかった。だから、日本に期待が高まっていくという背景があった。
英国はロシアの南下をもっとも懼れた。
▼米英仏の砲艦外交と日本のアプローチの差違、
 米国艦隊は江華島から親善を表しての上陸を試みるが、砲台から銃火が浴びせられ応戦する。以後、繰り返されるのは事大主義朝鮮の不意の銃撃、とってつけたような謝罪、ああだこうだの言い訳を延々とがなり立てての時間稼ぎ、文書の不備などに難癖を付け使節団を苛立たせたかと思うと土壇場で清国にお伺いを立てるので等と抗弁し、結局、朝鮮は清国の属国でしかなく、列強は、この交渉は清国の李鴻章と話し合いをするほかはないとする結論に至った。
 日本の新政府の外交顧問になったのは学者のペシャイン・スミスだった。木戸や伊藤が米欧使節団でアメリカに滞在した折、多大の影響を受けた。かれは政治学、法律ばかりか経済学者でもあり、自由貿易にひそむ英国の陰謀をみぬき、アメリカ・スタイルとしてのインフラ構築と労働力の重要性を説くブレーンでもあった。
 日本と朝鮮の関係改善に動き、日朝修好条規にこぎ着けたのは、「西洋列強が日本の開国交渉を支持したことが重要な要因だった」(74p)
 そして木戸は米国に七ヶ月滞在しているが、「対朝鮮外交が二国間交渉ではないことを明確に理解していた。(木戸が教えを請うたスミスが)スワード国務長官と昵懇であった」(83p)。
すなわち木戸は、朝鮮開国にこぎ着けるには宗主国清と、フランスと米国、英国という欧米列強にくわえ南下をねらうロシアを含める多国間交渉をすすめる必要を知っていた。
 同時期に頻発した国際係争は裁判にもなったが、明治政府には法律顧問としてG・S・ヒルがいた。
 このように日清戦争にいたる背景には複雑怪奇な要素が複合的にからみあい、同時に清国と朝鮮の二枚舌三枚舌に振り回される歴史的背景が丹念に本書では述べられている。
読むのに一週間ほどかかったが、ともかく圧巻である。
書店に走らなければ・・・・