(速報)  
 米軍長距離爆撃機B52,中国の「防空識別圏」に進入
         中国海軍は空母を当該海域に派遣、欧米各紙は一面トップ 

グアムを飛び立ったB52長距離爆撃機二機が26日、中国が一方的に宣伝した「防空識別圏」に進入し、尖閣諸島上空の飛行を続けて、グアムへ帰還したと米軍が発表した。
 欧米各紙はトップ扱いで伝えた。
 中国は空母「遼寧」を東シナ海へ派遣したが、米軍の行動がこのタイミングを狙ったかどうかは不明。
 また日本の航空各社は中国の要求した「飛行計画」をいったんは「安全飛行を担保するため」中国当局に提出したが、国土交通省の猛烈な「行政指導」をうけて提出しないことを決めた。
 【「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」11月27日貳通巻第4075号より転載】

(追伸)
中国空軍の敗北
 中国が防空識別圏の設定を宣言した。2月に中国軍の羅援少将が設定を提案していたが、その時点では軍上層部は羅援の提案を無視していた。それが何故この時期に採用されたかと言えば、16日、17日と二日連続でロシアの空軍機が沖縄に接近するという事件があったからだろう。
 この二日とも中国軍機がロシア機に対応する形で沖縄に接近しており、その飛行経路は今回設定した防空識別圏と重なるのである。実は12日にロシアのプーチン大統領はベトナムを訪問しており、ロシアの最新戦闘機の供与について話し合われたという。
 今のベトナムにとって最大の脅威は中国であるから、この露越の動きはどうみても対中包囲網の形成である。その上でロシア軍機の東シナ海進出である。中国は反射的に防空識別圏の設定を宣言したのであろう。要するにロシアを牽制したのである。

 しかし中国が防空識別圏を設定するとなれば、中国が領有を主張している台湾や尖閣、そして韓国の一部も含まれることになる。設定を宣言した23日、中国の情報収集機が飛行し、そこは日本の防空識別圏でもあるから、航空自衛隊の戦闘機が緊急発進し中国機に接近し監視した。
 言うまでもなく中国から見ると中国の防空識別圏を日本の戦闘機が飛行しているわけだから、中国の戦闘機が緊急発進して日本の戦闘機に接近して監視しなくてはならない。ところが中国の戦闘機は緊急発進しなかった。
 そもそも防空識別圏とは戦闘機が緊急発進する範囲を指す。戦闘機が緊急発進しない防空識別圏など何らの実効性を持たない、言わば絵に描いた餅でしかない。それを見た米軍はB52爆撃機を飛行させ、やはり中国戦闘機は発進せず、中国が宣言した防空識別圏は八方破れの陣となった。

 おそらく航空自衛隊のF15が緊急発進したのを見て中国空軍の戦闘パイロットは二の足を踏んだのであろう。中国にはJ10やJ11などF15に一応対抗できる機種はある。しかし稼働率が異様に低く墜落率が驚くほど高いと言われる。当然訓練も儘ならず、パイロットの練度も低い。
 一口にいえば、空自のF15が出撃した瞬間に中国空軍は敗北したのである。中国が防空識別圏を設定したとの報を受けても動揺せず通常の手続きに従って緊急発進した空自のパイロットや現場指揮官の勇気は称賛に値する。
 これが民主党政権だったら、岡田幹事長みたいのが、中国を刺激するなとか言って緊急発進を中止させたに相違なく、そうなれば中国の防空識別圏は公式に承認されたものとなり、中国空軍は台湾、尖閣、韓国に勢力を広げていた。安倍政権は東アジアを救ったとも言えるであろう。

 中国の制服のトップ、軍事副主席の許其亮は空軍出身である。中国の権力闘争は昨今いよいよ激化しているから、許は責任を問われて失脚するかもしれない。失脚を免れるためには失敗を糊塗していよいよ強硬策に出ることも考えられる。たとえば1996年に台湾近くに軍事演習と称してミサイルを次々に打ち込んだが、形勢挽回、窮余の一策として有り得る。
 東アジア戦争の第1ラウンドに我々は勝利したが、戦いはまだ終わってはいないのである。
  【鍛冶俊樹の軍事ジャーナル第129号(11月27日)より転載】

易姓革命で単一権力構造の国家の繰り返しで、多元性を認めず、自己を規制する伝統も法律も無く、あるのは暴力のみで、世界はどこまで行っても我がものとの”性”であると認識すべし!封じ込めが得策!
11月23日は「新嘗祭」、祝日法改正を!
新嘗祭を寿く
天壌無窮の神勅
新嘗祭神功

今日は、新嘗祭の日なので、それにちなんでお米の話をしてみたいと思います。

稲穂が稔り、収穫の時を迎える10月15日から25日には、伊勢神宮で「神嘗祭(かんなめさい)」が行われます。
これがどういう行事かというと、その年に取れた新らしい「穀」を、最初に神様に捧げて感謝するために、陛下が御神酒と御神饌(しんせん)を伊勢神宮に奉る祭儀です。

陛下は、お手ずから稲を栽培されますが、この時期に天照大神(アマテラスオオミカミ)様に、今年の作柄のご報告と感謝を捧げられるのです。

そしてこの神嘗祭に続いて11月23日に行われるのが「新嘗祭(にいなめさい)」です。
いまではこの日は国民の祝日として「勤労感謝の日」と呼ばれていますが、これは戦前から続いた新嘗祭を意識して、昭和23(1948)年にGHQが故意に名称を変えたものです。

勤労感謝がどうして11月23日かわかりませんが、新嘗祭については、記紀にも記載があって、仁徳天皇が新嘗祭を執り行なったという記述がちゃんと残っています。
新嘗祭は、古代から続く行事です。

この儀式は、宮中において、天皇が新米を神々に捧げて饗応するというもので、23日の夕方から始まって翌日の未明まで続きます。
(ねずさんメルメガより)
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電波芸者一座の顔見せ興業(11/11)電波芸者達
青木理、大谷昭宏、川村晃司、岸井成格、田原総一朗、田勢康弘、金平成紀、鳥越俊太郎
2013.11.10 食材虚偽表示
食材虚偽表示」は明治維新の負の遺産か?
護るものを失っている日本人が・・・・・・。
タイヤ屋の☆の数に一喜一憂し
低学年より外国語学習とか益々脳内味覚音痴が増えるのではと心配している。
で、下記ブログが目に付いた。

 雪嶺の代表作は、「真善美日本人」と「偽悪醜日本人」である。 「真善美日本人」と「偽悪醜日本人」は、その題において対になっているが、構成は必ずしも対になっているわけではない。「真善美日本人」は日本人の美質について述べているというよりも、日本の伝統的特質、つまり国粋を述べているというべきである。それに変わって「偽悪醜日本人」は、日本人の醜さについて論じたものである。その中には、「美質のみを知っていることは悪である」という思想が背後にある。我われは、特に愛国者であればあるほど日本人の醜態に目を背けてしまいがちであるが、逆に醜さを知ることもまた、愛国の本義とも言うべきものなのかもしれない。本当の愛情とは、相手の欠点を全て受け入れるところにあると思う。日本についてもまた然り。

 偽として、日本学術会の醜さを挙げている。優秀な少年に対し、父親が知らぬくせに学術に容喙してきたり、または朋友が悪い遊びに誘い込もうとすることで、有望な人材を積んでいることを嘆いている。また、教師がみな官吏であることを、文部大臣の意向に背けないとして非常に嘆いている。ちなみに雪嶺は、大の官吏嫌いである。また、現実の階級差が、学術会の出世に絡むことを非常に嫌っているのだ。学術会は、政府に反抗する志もなく、御用学者の養成所のようになってしまっている。学者が従うべきは学問の道理であり、世俗の名声など、それ以外のいかなるものにも媚びてはならないと主張している。

 悪として、正義を心に抱かないことを主張する。正義ではなく、時流や強者に尾を振って媚びる。文明開化となればすぐ掌を返して文明開化に熱狂する。海外の文物を導入することに必死になり、国内興隆に目を向けない。結果山間に海外の贅沢品をそのまま持ち込み、地方の特産物を軽視し、経済を疲弊させる。調和を考えず、商人は公益と称して己の利益を増大させることに熱中している。努力を軽視し、貧民を軽んじ、巧言やお世辞が上手いものだけがいい思いをする。いかに彼ら豪商が華美な装束をまとい、豪華絢爛な住まいに身をおき、洋行を自慢しようとも、彼らは卑しい人種である。彼らを排撃し、社会に重きをおかせないようにすべきだと述べている。米国流の拝金主義に乗っかり、個人の利害に汲々として、公共の大事は腐敗を究めるのである。士族の風尚美徳と、公共のために死を視る精神により維新は誕生したのであるから、士族を重きにおくべきである。

 醜は以下のようである。男女は軽薄になり、女子は自分を絶世の美女か何かと思い、光物に夢中になり、外部から見れば、その見かけの卑しさといい、精神の貧しさといい、吐き気を催すようだ。男子はあろうことか、女子のそういう行動を軽薄な甘言を用いて絶賛するのである。高価な美術品を集めながら、その美術的価値には興味も持たず、ただ自身に高級感を持たすためだけにそれらの収集に狂うのである。文章も練らず、趣向も練らず、思想にいたっては下劣な短編小説を読んだだけにもかかわらず利口気に批評して見せる。己の外観のみの美しさに狂い、その中身は非常に堕落するのである。美の観念など思いも致さないのである。古来事物の精神に通じないくせに先人をなめて、意思も観念もなくただ華美な作品を作り自らを誇るのである。そしてその結果が欧米の安直な模倣なのである。子供が大人の真似をするような賤劣な模倣である。欧米の文物を入れることは急務であるが、それが卑しき自文化への卑下となってはならない。そうなれば日本はただの劣等な欧米に成り下がるであろう。

 以上は雪嶺の言っていることの要約に過ぎない。しかしこれが現代にも通用するものがあまりにも多いことに気づく。ここまで口汚く罵られてはかなわないと言えなくもないが、しかし現代にも共通する日本人の醜さである。
(歴史と日本人―明日へのとびら― http://blog.livedoor.jp/k60422/archives/52074640.html より)
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追加
“偽”や“醜”はうわっつらに流れて真実を失った学問や芸術への、“悪”は私利を第一として士風の矜持を失った社会風潮への批判である。とりわけ、欧米文化を直輸入して事足れりとする風潮に舌鋒が鋭く向けられる。次の引用をみると、“和魂洋才”“東洋道徳西洋芸”のような発想と言えるか。
「おおよそ社会の事物たる、他を模倣せんよりは、自家固有の特質を発達せしむるの優たることあり。けだし我が国固有の風俗たる、いずくんぞことごとく抹殺すべきものならんや。そもそも外事を取りて、これを用いんことあえて排難すべきにあらずといえども、そのこれをなさんにはあらかじめ守るところなかるべからず。すわなち明らかに我を主とし、彼を客とするの本領を確保し、彼やただ取りてもって我の発達を裨補せしむるの用に供すべきのみ。はじめより汲々乎として模倣これ務む、いずくんぞその可なるを知らん。」(139ページ)