“日本が進んではいけない道”の研究所

一般財団法人 東アジア共同体研究所
理事長  鳩山由紀夫 (第93代元内閣総理大臣)
理  事  孫崎享 (外交評論家、元外務省国際情報局長)
理  事  橋本大二郎 (武蔵野大学客員教授、元高知県知事)
理  事  高野孟 (ジャーナリスト、株式会社インサイダー代表取締役)
理  事  芳賀大輔 (鳩山由紀夫事務所所長)
評議員  川手正一郎 (株式会社ニッセーデリカ代表取締役会長)
評議員  栗林和徳 (株式会社栗林商会代表取締役社長)
評議員  鳩山幸 (「幸流」家元)
監  事  五百蔵洋一 (弁護士)
特別研究員 尹星駿
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五箇条の御誓文

広く会議を興し、万機公論に決すべし
上下心を一にして、盛に経綸を行ふべし
官武一途庶民に至る迄、各其志を遂げ、人心をして倦まざらしめん事を要す
旧来の陋習を破り、天地の公道に基くべし
知識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし


我国未曾有の変革を為さんとし、朕躬を以って衆に先んじ、天地神明に誓ひ、
大いに斯国是を定め、万民万全の道を立んとす。衆此趣旨に基き協力努力せよ。


1868年3月14日
 靖國への想いを世界に…
▲産經新聞:日米犠牲者の冥福祈る 賤機山で静岡大空襲慰霊祭 静岡
 昭和二十年六月十九日の米軍による静岡市に対する戦略爆撃(大空襲)で犠牲になった市民と、空中衝突して墜落死した爆撃機の米兵搭乗員を弔う「第四十一回日米合同慰霊祭」が十五日、静岡市葵区の賤機山山頂で開かれ、在日米軍横田基地や航空自衛隊静浜基地の関係者のほか市民ら約百五十人が参列しました。

 慰霊祭は参列者全員の黙祷(もくとう)の後、在日米空軍の儀仗(ぎじょう)隊が入場し、日米両国の国旗を掲げた。さらに、在日米軍の演奏者が両国の国歌を吹奏した。
 日米関係者の挨拶の後には、静岡市民の犠牲者を弔う観音像には日本酒が、米国人搭乗員の慰霊碑には搭乗員の遺品の「黒こげの水筒」を使ってバーボンウイスキーが献酒され、参列者が手を合わせた。(産経新聞・静岡6/16)
・・・・・・
 これは、昭和四十七年から医師で同区に在住の菅野寛也さんが私費を投じて主催してこられたものであり、ジョン・ルース駐日大使からは「静岡大空襲の生存者は、米国人犠牲者も同じ人間として扱ってくれた」との言葉が寄せられ、横田基地配属の司令官からも「敬意と慈悲を持って米国人搭乗員と日本人犠牲者を共に埋葬していただいた」という挨拶があったようです。
 米国人が新興のうちにここまで自国を大国化させられたのは、いわゆる「寄り合い所帯」ゆえか、このような理解の示し方が出来るところに理由があるのでしょう。どの国にも「病める後姿」はあるものですが、米国も常に文化的進化を目指してきました。
 一方、わが国の先人たちが、戦争で亡くなった敵国兵のご遺体を弔ったり、その後も「慰霊」と称して招魂の儀式を執り行ったりしてきたのは事実です。
 それは大東亜戦争だけでなく、例えば日露戦争に於いても、島根県沿岸まで漂着した複数に及ぶ露国兵のご遺体を拾い上げ、県民たちが「敵兵とはいえ、定めしこんなところで死にたくはなかったろう」「かわいそうだ」と言って弔ったといいます。
 もちろん戦場で戦っている最中は敵兵を殺さねば自分が殺され、国を滅ぼされるかもしれません。しかし、戦争が終われば亡くなった敵兵の御霊も自分たちと同じと考えるのが、わが民族の「道」なのです。今でも、死んでなお生前の罪を激しく問うようなことは決してしません。
 これは間違いなく、天皇陛下によって司られる祭祀の、深淵なる生命の営みに対する畏敬の念からくるものであり、ゆえに(合祀が全うされていませんが)連合国に「戦争犯罪人」として処刑された者の御霊も祀られた靖國神社や全国の護國神社が招魂の場として設けられ、守られてきたのです。
 欧米をはじめ、世界はこのことを知りません。静岡市民が主催している日米の合同慰霊祭も、米国市民のほとんどが知らないでしょう。連邦議員や政府高官の間でも、恐らくあまり知られていません。ならば伝えなくてはならないのです。わが民族の祭祀と、靖國への想いを。
 特に中韓だけが靖國神社に対する無知をさらけ出して政治的道具にこれを貶め、また当然何も知らない欧米諸国政府もあまり説明をしない日本政府より中韓両政府のさかんに言うことを(経済的要因もありながら)聞いてしまいます。
 本来は安倍内閣に取り組んでいただきたい案件なのですが、米国民に知らせることぐらいなら私たちにも出来るに違いありません。英語が話せて巧みに書ける人ならなおさらです。是非拡散してください。
http://endokentaro.shinhoshu.com/japan/post2596/ 遠藤憲太郎オフィシャルブログより転載
2013.06.16 父の日に
父の日に
植村 眞久 海軍大尉
昭和19年10月26日 神風特別攻撃隊大和隊、第一隊々長として出撃
              レイテ島東方海面の米機動部隊に特攻、散華(享年25才)

(内地出発前夜)
内地を出発する前夜、植村眞久は大村基地から東京の自宅に長距離電話をかけた。妻に生後三ヶ月の娘・素子の声を聞かせてくれるよう頼んだが、娘はにこにこ笑うだけで声を立てない。彼は「お尻をつねって泣かせてくれ」と頼んだが、妻は笑っている娘にそれも出来ず、乳を含ませて飲み始めたところで離すと泣き出した。
彼は電話越しに娘をあやし、やがて電話を代わった母親に「子供は本当に可愛いものですね。お母様たちのご恩を深く感じます」としみじみ語ったという。
(愛児への便り)
素子、素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。
私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。
素子が大きくなって私のことが知りたい時は、お前のお母さん、住代伯母様に私の事をよくお聴きなさい。私の写真帳も、お前の為に家に残してあります。
素子といふ名前は私がつけたのです。
素直な心のやさしい、思ひやりの深い人になるやうにと思ってお父様が考へたのです。
私はお前が大きくなって、立派な花嫁さんになって、仕合せになったのをみとどけたいのですが、若しお前が私を見知らぬまゝ死んでしまっても決して悲しんではなりません。
お前が大きくなって、父に会いたい時は九段へいらっしゃい。
そして心に深く念ずれぱ、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮びますよ。
父はお前は幸福ものと思ひます。生まれながらにして父に生きうつしだし、他の人々も素子ちゃんを見ると眞久さんに会っている様な気がするとよく申されていた。
またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一つの希望にしてお前を可愛がって下さるし、
お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。
必ず私に万一のことがあっても親なし児などと思ってはなりません。
父は常に素子の身辺を護って居ります。
優しくて人に可愛がられる人になって下さい。
お前が大きくなって私の事を考へ始めた時に、この便りを読んで貰ひなさい。
                      昭和十九年○月吉日父 植村素子ヘ
追伸、
素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。
だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。
素子が知らずにいると困りますから教へて上げます。
(戦後二十二年)
父・眞久が散華してから22年目の昭和42年3月、素子さんは父と同じ立教大学を卒業。
4月22日素子さんは靖國の社に鎮まる父の御霊に自分の成長を報告し、母親や家族、友人、父の戦友達が見守るなか、文金高島田に振袖姿で日本舞踊「桜変奏曲」を奉納した。
舞い終わり友達から花束を受け取った素子さんは、「お父様との約束を果たせたような気持ちで嬉しい」と言葉少なに語ったという。
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http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/sinpu-uemura.htm より転載

元保守本流の元議員が「憲法改正は慎重に」と言う以前に赤旗での「発言する場は慎重にせ!」。1992年に、尖閣を自国領とする領海法を制定し、一方的に領有権主張を強め始めたがこの時点で棚上げ論は、すでに破綻しており“棚上げ論”という共同認識に達したと宣うこれも元保守本流の元議員と与党を組む日和見主義政党の代表も先に共同認識?
彼らは日本に寄生し蠢く妖怪族だ!
これは『保守の辞典』(西部遭)で述べている「社会が水平化、平均化、画一化の大量減少によって彩られるようになれば、政党間の壁が溶解する。それにつれ、得票にめざといポリティシアン(政治屋)たちは、国柄と国益を護るというステーツマンシップ(政治家)の本分をかなぐり捨てて、政党間の利害や観念をめぐる微差がもたらす世論人気の動向に反応して、政党間をあたふたと移動したり、新党結成にやみくもに走ったりする」(288p)現象ですね。